集団給食調理師体験談

病院で集団給食の調理師をしていました。

私は専門学校を卒業後、2箇所の病院で調理師として働いていました。最初は循環器系のA病院で、2箇所目は老人保健施設も併設している内科系のB病院でした。

どちらの病院もそれぞれ特徴があり、調理師として勤務していた期間に得たもの、学んだことはたくさんあります。その時の経験が今でも毎日のお料理に役立っていると私は思います。

調理師として働き始めた頃のお給料・・・

もう昔、昔の話(笑)。忘れもしません、初任給は105300円でした。
当時、OLをしていた友人のお給料より2万円くらい少ない金額。
不規則な勤務なのに・・・正直がっかりしました。
でも自分で選んだ道、職業だし、頑張るしかないと、あきらめるしかありませんでした。
1年後、病院内の改革?のひとつの中にお給料改定という項目が設けられ、金額ははっきりと覚えていないのですが、3万円くらいは基本給がアップしたのです。
また、早番手当てという項目も設けられ、1回早番をすると確か500円もらえたと思います。

この病院は開設して間もない病院だったため、いろいろが手探り状態でした。
どの部署もまだ慣れていないためか、勤務時間も毎日のように残業。
もちろん私たち調理師も定時に帰れることはありませんでした。
それなのに、残業手当も出なかったのです。
1年後には勤務時間も落ち着き、お給料改定にともない、残業した時は手当てもつくようになりましたが・・・ホント最初は最低の勤務条件でしたね。

A病院で5年半調理師として働き、事情があってB病院へ移ることになりました。
B病院へ面接に行った際、お給料に関しては、交渉(希望を言った)したのです。
その結果、自分が納得できる金額を提示してもらえたので、B病院で働くことにしました。

病院調理師のお給料は、正直、決して高くはないと思います。
現在の基本給とかはまったくわかりませんが、病院調理師として働きたいと思われる方は、いろいろと調べてみるといいと思います。
早番手当てとか、その他手当てが出る病院もあると思いますし。

病院調理師の勤務体制(勤務時間)

先にもお話しましたが、私は2箇所の病院で働きました(循環器系のA病院・内科系のB病院)。
ふたつの病院とも勤務は3交代制でしたが、始まりの時間や終わりの時間が少し違います。
また、循環器系のA病院は1日の労働時間は7.5時間、内科系のB病院は8時間でした。
どちらの病院とも週休2日制だったと思います。
お昼休憩(お昼休み)は1時間半前後。出勤する時間によって少し違ったと思います。

記憶からのアップなので、多少違うかもしれませんが、おおよそこんな感じと考えてください。
また、病院によって勤務体制は違いますのでご了承ください。

▼循環器系のA病院(1日の労働時間は7.5時間)の時

・早番・・・6時30分〜15時30分まで
・中番・・・9時〜18時まで
・遅番・・・11時〜20時まで

平日は、早番2人、中番1人(ほとんどがパートさん)、遅番1人でした。日祭日や年末年始は、全て1人ずつの勤務体制でした。

▼内科系のB病院(1日の労働時間は8時間)の時

・早番・・・6時〜15時まで
・中番・・・9時〜18時まで
・遅番・・・10時〜19時15分まで

早番2人、中番1人、遅番2人が基本でした。年末年始などは、早番の人が残業し、遅番まで勤務し、1日3人で現場をまわしていたと思います。

症状に合わせて調理するということ

患者さんは、それぞれいろいろな病気から入院されています。

A病院は・・・
A病院の場合は、循環器系の専門病院だったので、塩分制限が一番重要な食事作りでした。
患者さんによって、塩分制限が多少違いましたが、ほぼ同じ食事だったので、調理する側としては意外とラクでした。
また、A病院は手術も行っていたので、術後の食事を調理するのはちょっと大変だったかも。

B病院は・・・
B病院は内科系の病院だったので、複数の種類の食事を作らないといけなくて、慣れるまで調理するのはちょっと大変でした。また、老人ホームも併設されていたので、1回に調理する量もたくさん。凝った献立の日は、忙しくて厨房中を走りまわっていましたね〜(笑)。

どちらの病院も、患者さんの個別対応はしていました。
アレルギーはもちろん、好き嫌いにもある程度は対応していました。
治療食なので個別対応はしなくてはなりませんが、好き嫌いに対しては、できる限り対応していた・・・という感じだったかもしれません。
例えば煮物を作る時・・・ある患者さんは豚肉、ある患者さんは鶏肉、ある患者さんは肉抜き・・・
味付けはある患者さんは普通に、ある患者さんは塩分制限のためかなり薄味・・・
人参がダメ、しいたけがダメ・・・患者さんにはいろいろな方がいるので、個々に対応するのです。

ちょっと余談ですが・・・
アル中の患者さんには、お味噌汁の中にお酒の嫌いになる薬を数滴たらして配膳していたんです。
どうしてもお酒をやめさせないといけなくて、B病院ではそんな治療食も提供していました。
その患者さん、お酒を完全にやめられたかはわかりませんが・・・

基本的に、調理する時の味付けは、栄養士が作成した献立を見て作る量に合わせます。
例えば、砂糖が一人分3gと献立に書かれていて、100人分作るとしたら「3g×100人で300g」入れるのです。もちろん、材料も1人分○gと献立で指示が出るので、作る人数分仕込みをします。
あとは味見をして、調味料を加減するという調理方法でした。

献立を作る栄養士さんによって食事内容はいろいろ

病院によって、食事内容はさまざまだと思います。病院の方針もありますし、献立を作る栄養士さんによっても違います。もちろん、品数も・・・。

A病院は・・・
A病院は、私が調理師として働き始めた時は開院して2、3ヶ月の頃でした。当時入院患者さんは20名弱だったと思います(満床80くらいかなぁ?)。
開院して間もない病院ということで、当時献立を作っていた栄養士さんは、とてもはりきっていたような記憶があります(笑)。
作る治療食は手作り。冷凍食品は一切使いません。
これも記憶からなのですが、主となるおかずが1品、副となるおかずが3品〜4品。
入院患者さんの人数が少ない時はまだよかったのですが、少しずつ患者さんが増えてきた時は本当に大変でした。
食事をする時間はもちろん決まっています。その時間に間に合わせなければなりません。

今でも忘れられない出来事なのですが・・・ある日のお昼の主菜が「ミートローフ」だったんです。先輩調理師の方がこの「ミートローフ」担当だったのですが、数が多くてなかなか焼けなくて、あせっていたんです。お昼の時間はせまっているし・・・。でも焼くのはオーブン。私たち周りは何も手出しできません。この時、先輩調理師の方が涙を流しながら調理していた姿が今でも忘れられないんです。
思うに、その方のその時の段取りがうまくできていなかったため、自分自身の手際の悪さに腹がたち、悔し涙を流していたんだと・・・性格がそんな感じでしたから・・・(笑)。

働き始めて数ヶ月経った頃、日曜日の早番1人、「フレンチトースト」という献立に当ってしまったことがありました。
入院患者さんは40名ほど。食パンを三角に半分に切り、その三角形に切ったものを一人分2枚か3枚。卵と牛乳の液につけ、フライパン4個で焼く作業・・・。
とにかく大変でした。頼る人もいません。
もちろん副となるおかずも作らないといけません。多分和えるサラダとスープだったと思いますが。
病院調理師になって、初めての試練だった・・・かも・・・です。今考えてもおそろしい〜(笑)。

それからこれは私が経験したことではないのですが、翌日の献立がイカの煮物か何かで、小さいイカの下処理を前日やらないといけなかったんです。
イカは一人1杯。その頃の入院患者さんは50人ほど。その他病院スタッフの職員職。内臓を取り、皮をむき・・・。いったい何杯のイカの下処理をしたのでしょうか。
献立を立てた栄養士さんはもちろん、その栄養士さんに付き合ったもう一人の栄養士さんの二人で、事務仕事が終わったあとから夜中近くまで下処理をしたんだそうです。
わぁ、大変・・・。
その後その献立は二度と出てこなくなりましたが・・・(笑)。

数年後、開院当時からいた栄養士さんは退職し、違う栄養士さんが献立を立てる頃には、満床状態でした。
調理の基本はできるだけ手作りだけど、冷凍食品で使えるものは取り入れるという方向に変わり、調理の現場はとてもやりやすくなりました。

B病院は・・・
B病院は、古い病院だったので現場の流れもしっかりしていました。
病院は20床が満床で、老人ホームは50床が満床。ディケアサービスを行っていたので、お昼は老人ホームの方は入所されている方を含めて100近かったと思います。
病院の方は20床と少ないですが、とにかく細かい!!主となるおかずだけでも5種類くらい作らないといけませんでした。
老人ホームの食事は基本は普通の人が食べるような内容。ただ、あまりかたい物は老人には不向きなので、やわらかめに煮るとか、細かく刻むとか、工夫は必要でした。
また、老人ホームは3時におやつを出したり、月に1、2度バイキングもやりました。
お寿司だったり、中華やイタリアンだったり、冬はお鍋をしたり・・・いろいろやりましたね〜(^^)
お正月にはお餅つきもやりましたよ。

B病院は、老人ホーム併設病院だったこともあり、季節の行事にかかわる食事が特徴の病院だったように思います。

病院の厨房

A病院は・・・
A病院の厨房はとても広かったので、調理師同士がすれ違ってもぶつかることもなく、スムーズに仕事はできました。ただ、食料庫までがちょっと遠かったため、急に何か必要になった場合は時間もないため走って取りにいっていました〜
配膳スペースも広かったので、盛り付けもやりやすかったです。
新しい病院ということで、厨房設備も当時ではかなりいいほうではなかったでしょうか。
A病院の厨房には当時はエアコンはありませんでした。(今はどうかな?わかりません)だから夏場は暑い、暑い!!!蒸し風呂状態です。真夏の調理は本当につらかったです。

B病院は・・・
B病院の厨房は、A病院の半分以下くらいの広さ。とてもとても狭く、調理師同士がすれ違うのもやっとだったと思います。
配膳スペースも狭くて、いろいろと工夫が必要でした。
また、厨房設備もA病院と比べると劣っていました。
最初はとてもやりにくかったという記憶があります。
ただ食料庫までは近かったので、物を取りに行くのはスムーズに行えました。
B病院の厨房には、エアコンはありましたが、夏場はあまりききません。火を使っていない時は案外涼しいですが、火を使い始めるとまったく冷房はききません。A病院の時と同じく、真夏の調理は大変でした。

病院調理師でイヤだったこと

病院調理師として働き始めた頃、一番イヤだったのはやはり休みのこと。
友人のほとんどは普通の会社のOLで、土日・祝日・年末年始など、カレンダー通りのお休みだったのに対し、私は不規則で日曜日も半分休めればいいほう。どこかへ旅行や遊びに行こうと誘われても、なかなか一緒に行くことはできず、断ってばかりでした。そして月日が経つにつれ、あまり誘われなくなってしまい、ちょっと悲しかった想い出があります。
でも逆に、自分と同じような勤務体制で働いている人とは仲良くなり・・・付き合いも学生時代の友人から、社会人になってからの友人へと変わっていきました。

それからもうひとつイヤだったこと・・・。
A病院の、遅番が1人という勤務体制。
仕事は夕食の後片付けをするだけなのですが、広い厨房にたった1人。本当に怖かったです。
場所柄、余計に怖いんですよ・・・
静まり返った厨房で、ちょっとでも物音がしようものなら、もう怖くて怖くて・・・
また建物の構造上、厨房は病院裏手にあり、そのため霊安室が厨房の近くにありました。仕事を終えタイムカードを押すのにその前を通らないといけなくて・・・。本当に怖かったです。
急患がストレッチャーで運ばれてきた時に遭遇することもありました。

早番ひとりは不思議と怖くはなかったんですよ〜
これからみんなが出勤してくるという安心感と、外が明るかったからかなぁ。

病院調理師をしてよかったこと

一番はお料理をたくさん覚えられたこと!
今現在作るお料理って決まってしまっているけど、レパートリーは多いかも〜(笑)。
調理師のくせに、好き嫌いがすごく多いの。
でも、病院で調理師をやっていて食べられるようになった物もたくさんありますよ(*^^)v

患者さんと接するのも楽しかったひとつ。
「おいしかったよ〜」って言われると、すごくうれしくなっちゃう。
食事制限の厳しい患者さんは何か可愛そうだったけど、それでも自分が調理した食事を「おいしかった」って言ってもらえると、また明日も患者さんのために頑張ろう!って。

最後に・・・そして・・・

調理師の資格は一生の宝だと私は思います。
今は調理師の仕事はしていないけれど、いつか、また調理師の仕事ができたらいいなと思います。

病院調理師としての想い出はまだたくさんあるので、また後日追記していこうと思います。

 

最後まで読んでくれてありがとう!!(*^_^*)
少しは病院調理師の仕事内容など伝わったでしょうか。
もし何か質問がありましたら、お問い合わせよりメールしてくださいね!
私の経験したことなら、わかる範囲でお答えできると思いますので。

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